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本間光丘現在の庄内海岸砂防林の造成に多大な功績を残した本間光丘の特別企画展が開催されます。

 

「光丘の偉大な事業―植林事業とその背景―」

黒松防風林の歴史を探る<荘内育英会90周年特別企画>

 場所:山形県酒田市「本間家旧本邸

 期間:7月16日〜9月初旬

 

企画展の内容

 江戸時代町の人々は、田畑も一夜にして砂に埋もれる飛砂の害に苦しめられ、砂防林の植林は悲願でした。

 鶴岡と酒田を行き来する最上川の渡し船がある地域は荒れ野原で、追いはぎが出たり物騒な所でした。そこに三代光丘は、旅人の休憩所をつくり、学田を寄付し、維持費にあて住職を置き図書を備え、学問を志す者の勉学の場(お寺)を作ろうとしました。又、西浜砂防林の植林にも力を注いでいます。

 

明治頃の黒松林
明治頃の黒松林

 しかし、幕府からの「新寺建立禁止令」で、休憩所の建立は断念しました。その間にも38年間にわたり願書を提出しています。

 植林事業は許可がおり、試行錯誤を重ね苗の植え付けに成功。沢山の人々により見事な松林が出来ました。今日では、庄内海岸に長さ約34キロメートルの黒松林のグリーンベルトを形成しています。白砂青松の美しい景色を見る事が出来ます。


 大正時代、人々は光丘の功績を讃え、植林した地域を「光ヶ丘」という地名にし「光丘神社」を建立しました。八代光弥は感謝の気持ちと光丘の遺志を継ぎ収集した蔵書2万冊を寄贈「(財)光丘文庫」を建立しました。又、酒井家・風間家の御協力で「(財)荘内育英会」を設立、育英事業が続けられ、今年90周年を迎えます。黒松林は「万里の松原」と呼ばれ、人々の憩いの場、小・中・高校生の「学習林」として利用されています。光丘の「勉学の場」という願いも着実に受け継がれています。

 

松林銘碑
松林銘碑 光丘文庫

 

 現在では、庄内海岸のクロマツ林をたたえる会、万里の松原に親しむ会などが設立され、松林の整備、シンポジウムの開催を行っています。松林の事やその歴史と先人の志を学ぶクロマツ探検を行い、又、ホームページ・DVDを作成し、次世代に受けつぐ活動も行っています。各ホームページをご参考にして下さい。

 

 夏休み期間、240年の歴史を刻む建物で、ご家族、ご友人とこの先人の志にふれて頂けたら嬉しいです。グリーンベルト「白砂青松」の風景もお楽しみ下さい。

 先人たちのかけがえのない英知と志を未来の子供たちにプレゼントして行けるよう努めて参ります。こんな歴史が息づく町で名所旧跡を訪ね、山海の幸、旬の食もご堪能下さい。

 

本間家旧本邸と別館お店

酒田十景より 酒田本町通り
酒田十景より 酒田本町通り

 本間家初代原光が、元禄二年(1689)本町に新潟屋を開業。商いを始め、農業、公共・水利事業にも尽力しています。

 明和五年(1768)本間家三代光丘が幕府の巡見使宿舎を建築。酒井家に献上、その後拝領し、住まいとして使用されたのが本間家旧本邸です。武家造りと商家造りが一体となる珍しい建物。士農工商の身分の厳しい時代、士分を許されていましたが、商人なので商家造りの方に住み、武家造りは特別な行事のみ使われました。


襖絵拡大 襖絵 砂丘で育つ若松
襖絵 砂丘で育つ若松

 

本間家旧本邸玄関と松
本間家旧本邸玄関と松

 戦争中は「暁部隊」が置かれ、昭和24年から51年まで公民館として利用されました。昭和57年、第一回観光キャンペーン「紅花の山形路」が開催、それにともない一般公開し、今日に至っています。年7回の特別企画展を開催し、大切にされてきた歴史史料、美術品などをお楽しみ頂いています。

 別館「お店(おたな)」は新潟屋を開業した建物で、灯りのコーナー、帳場のコーナーなどで商人としての暮らしを紹介しています。

 

 現在では、名所旧跡の一つとして、小中学生の学びの場としても利用され「町と共に歩む」という信条を大切に歴史を紡いでいます。

 

文・写真提供:本間家旧本邸 ホームページ:http://www2.ocn.ne.jp/~hommake/

 

関連リンク:身近な松原散策ガイド「庄内海岸砂防林

※庄内海岸砂防林は、平成18年度「日本の松原再生事業」の実施箇所です。

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