東日本大震災による松原被災情報

高田松原に残されたマツへの対応

2011年3月11日の大津波により高田松原は消滅し、陸前高田市には甚大な被害がもたらされた。その後、奇跡的に生き残ったマツは、「1本松」と呼ばれ陸前高田市民の希望の光となる。

樹冠部のマツ枝葉

樹冠部のマツ枝葉

 

残された1本のマツ

残された1本のマツ

幹中程にツリークライマーの姿

後方の建物は陸前高田ユースホステル

 

マツ周辺での倒木整理作業

マツ周辺での倒木整理作業

今回の地震は三陸沿岸地域に大規模な地盤沈下をもたらし、陸前高田市小友町で最大84cm、広田湾に近い気仙町字双六で53cmを記録した。津波の漂流物による樹幹の損傷、15時間余りに及ぶ海水中への水没など、マツの生育に極めて過酷な状態が続いた。

当センターは(社)日本造園建設業協会、日本造園学会と連携し、4月22日(金)に緊急調査・第1次対策を実施した。小雨模様の当日、約60名の参加者が調査班、海水対策班、樹木対策班、後継樹班に分かれ、調査・対策に従事した。

ツリークライミングにより採取した樹冠部のマツ枝葉を見る限り、しおれや変色はなく健全な状態を持続していることが確認された。採取した枝葉と球果は、後継樹育成を目的に、林木育種センター東北育種場と住友林業(株)筑波研究所の2箇所で、目下増殖に取り組んでいる。

土壌診断からは、地下60〜100cmまで砂地、その下に20cm程度の粘性層(水田跡地と思われる)、さらにその下は海水と砂の混じる層が確認された。根系は水平方向におおむね半径6〜8mほど広がっており、気仙川の伏流水が根系へ浸透していることが想定された。

樹木外観診断からは、樹幹部に樹皮の剥離や裂傷がみられた。4月28日まで続けられた第1次対策の内容は、根元周囲に堆積した土砂の除去、大潮による冠水対策として汀線側に土嚢の敷設、樹幹損傷部の防菌癒合剤の塗布・幹巻き、枯れ枝の切除、および周辺の倒木等の整理・撤去などであった。これらに続き、4月29・30日日本造園学会東京農業大学チームによる調査結果とあわせて、5月10日(火)当センターにおいて調査結果・第1次対策の評価および第2次対策の検討を行った。

4月22日調査・対策の参加者:

日本造園建設業協会岩手県支部の造園業者12社、日本造園組合連合会岩手県支部の造園業者8社、樹木医(3名)、TMCA岩手県支部、林木育種センター東北育種場、住友林業梶A岩手県大船渡農林振興センター、日本造園学会、(社)日本造園建設業協会、(財)日本緑化センター、合計57名。

 

日本新聞博物館(神奈川県横浜市)で開催された大震災報道写真展の中で、岩手日報から出展された写真には、津波の波浪の中にかすんで見える1本松の姿が捉えられている。

陸前高田市ではこのマツを「希望の松」と名付け、人々の心の支え、復興のシンボルとしてその生存を見守っている。

5月13日の高田松原

高田松原の残りすべてのマツは地上部で折れるか根鉢毎引き抜かれた(5月13日)